Locanda Delle Fate=妖精の宿
♪ 誰にでも想い出に残るアルバムというものがあるのではないだろうか。
もちろん、それは1枚だけとは限らないだろうし、人によっては何枚もあるかもしれない。
14歳の時に音楽というものに興味を持ち始めて以来、早いもので37年が経ってしまった。
当然、その年数分の音楽に接してきた訳だから聴いてきた枚数も多い方じゃないか、と思う。
従って、僕の場合は後者になるだろうな。
それまでの僕は、音楽というものよりも、むしろ漫画( 落書きに近いのだが=汗 )を描く方に興味が
向いていた筈なのに、そういった自分が方向転換をした契機を思い巡らせてみると、その当時に
流行していたラジオ( もちろん、FMじゃなくてAMだ )の深夜放送の番組とヒット・チャートが中心の
音楽番組の影響だ、と思い当たった。
まあ、当時のヒット・チャートといっても、英米のヒット曲に混じってヨーロッパのポップスが同じ
レヴェルで語られた、謂わば、日本独自のものだったのだけれどね。
これが実は曲者・・・・・・アメリカン・ロック( SSWもね )とブリティッシュ・ロックを聴きながら、普通に
ユーロ・ロックも聴いていたのは、やはり、こういった音楽的な背景があったからだろう。
だから、M誌はおろかF誌が未だ世に出る前の通称Pグレ石器時代(笑)からユーロ・ロックに
接してきた自分が、輸入盤店に並んでいたアルバムを普通に入手して聴けたことに感謝したい。
それでも、現在のように情報が発達していなかった時代であった為、後から知って随分と悔しい
思いをしたこともまた、必然的に多かったことを付け加えておこう。(笑)
今回取り上げるアルバムは、その度に眠れずに悔し涙で枕を濡らしたうちの1枚である。(←大嘘)
↓ 悔しい思いをした1枚のアルバムへGo (涙)
駄文のうえに長文なので覚悟して読んでねっ ( by 詩音 )
♪ Locanda Delle Fate / Forse Le Lucciole Non Si Amano Più (’77 )
● I;Polydor / Phonogram 2448.055 A
J;Polydor 23MM-0148 → 18MM-0584 ( Reissue )
♪ ほぼリアルタイムでユーロ・ロックを聴き、とりわけイタリアン・ロックに魅了されていた自分が
入手できずに悔しかった思いをしたのが、このLocanda Delle Fate の唯一のアルバムだ。
もちろん、後年になってから彼等が所属していたPhonogramのプロモーション・ツアーで
巡業していた時のLiveをカセット録音したものを発掘した音源( 音質を期待してはいけない )や
96年に再結成されて99年に発表された”Homo Homini Lupus”というCDもあるが、ここでは
飽くまでオリジナル・メンバーによって残された2枚のシングルと唯一のアルバムを指すことを
断っておきたい。
さて、このアルバムが発表された1977年というと、ちょうど大学の工学部4年に在籍していた
僕が、動力ウインチの設計・製図を卒業研究に選んで死ぬ思いをしていた年でもあった。(自爆)
この当時に日本に入荷してきたユーロ・ロックのレコードは、米の輸入ディーラーPeters Int' を
経由してきたものが多く、その恩恵に授かった人も多かったのではないだろうか。
ただし、例外的にフランスのPentacle( これも紹介予定 )やLocanda Delle Fate 等は、ごく
一部の輸入盤店( 特にCISCO=新宿の末広亭の向かいにあった )に数枚、もしくは1枚だけが
入荷したに過ぎなかった。
幸いにもPentacleは入手できたが、流石にLocanda Delle Fate は入手できずに涙を呑む。
ただえさえ短期間で廃盤になってしまう、といわれていたイタリアのレコードなのに、タイミングが
悪かった為か、そのまま入手できないままに歳月が経ってしまった。
その数年後に一大転機が訪れることになろうとは予想できる筈もなかった。
既にキングから発売されていた『ユーロピアン・ロック・コレクション』が、このジャンルとしては
順調なセールスを上げていたこともあってか、遂に数々のイタリアン・ロック名盤を発売していた
RCA-Italianaと双璧をなすPolydorのアルバムも陽の目を見ることになったからである。
何といっても、Latte E Miele / Passio Secundum Mattheum ( 受難劇 )と Pallion
( パピヨン )の2枚が目玉的な感じがあったが、この他にも New Trolls の分裂グループ Ibis の
Sun Supreme、Ibis (2nd)といった中堅的作品があったり、Il Balletto Di Bronzo / YS に
Locanda Delle Fateという、まさに驚愕のラインナップとも言うべきアルバムが国内盤として
発売されたことが画期的なことであったのだ。
これが『ポリドール・イタリアン・プログレッシヴ・ロック・コレクション』であり、これまで莫大な
金銭と労力を注ぎ込んで集めてきた秘蔵盤を惜し気もなく世に出されてしまったコレクター達が
舌打ちをする一方で、世のPグレ者達が狂喜乱舞したことも付け加えておく。(激爆)
このような意味でも、当時のF誌( 6月に亡くなった北村昌士君の冥福を祈ります )が果たした
功績が如何に大きかったかが解るだろう。
その後、いまは無き西新宿の某E店が廃盤ブームを仕掛けたこともあり、見たこともないような
レコードが続々と入荷し、それらが壁に飾られていたことが懐かしい。( 縁がなかったが=爆 )
前置きが長くなってしまった。
” Forse Le Lucciole Non Si Amano Più ”の意味が気になるので訳してみようか。
もちろん、伊語なんて解らないから翻訳ツール( これがまた便利なマルチ・ランゲージ対応 )を
ポチッとな、と押すと Maybe The Fireflies Don't Love Eachother Anymore と翻訳された。
ふむふむ、なるほどね。邦題では『妖精』となっているが、正確には『もう蛍は愛し合わない』と
訳する方が的確なんじゃないかな。
調子に乗ったついでに曲名を順番に訳してみて、果たして正しい意味か検証してみようか。(笑)
1. A Volte Un Istante Di Quiete =ひとときの静寂
→ Sometimes A While Of Quietness
※ これは邦題のままで好いだろう、と思う。あえて変えるならば『静寂の時に』かな。
2. Forse Le Lucciole Non Si Amano Più =蛍が消える時
→ Maybe The Fireflies Don't Love Eachother Anymore
※ 『もう蛍は愛し合わない』の方が正確な訳のように思うが。何故に?
もしかしたら、性的なイメージを連想させるからだろうか。
3. Profumo Di Colla Bianca =白色の香
→ Smell Of White Glue
※ 『白い糊の匂い』では・・・・・・ちょっとピンときませんねえ。悩んだ挙句に付けられた
付けられた邦題というところかな。担当ディレクターも大変だよな。
4. Cercando Un Nuovo Confine =新しい世界を求めて
→ Searching For A New Border
※ そのままの意味だが、あえて変えるならば『新天地を捜し求めて』というところか。
5. Sogno Di Estunno =憧れ
→ Dream Of Summer-Autumn
※ これは理解に苦しむな。どうして『晩夏の幻想』では駄目なのだろうか?
6. Non Chiudere A Chiave Le Stelle =星に鍵をかけないで
→ Don't Lock The Stars
※ 素晴らしい!って、そのままじゃないか。でも、これで好いんじゃないか、と思わせる。
7. Vendesi Saggezza ( E Cervello Di Seconda Mano ) =過ち
→ Wisdom For Sale ( And Second Hand Brain )
※ 『知性の切り売り( 使い古された脳 )』とは凄い題だと思うが、これまた意味不明の
邦題で理解に苦しんでいます。
Bonus Trackは省略。というか、”Nove Lune”ぐらいだろうね、意味が解らないのは。
邦題では『9番目の月』となっているが、NovoはNineだと解ったもののLuneが変換されず。
「お願い、変換して・・・・・・」
↑ クレアのお願い画像を貼り付けてみたが、これじゃあ意味が解らんだろうな。(激爆)
∮ Leonardo Sasso ( vocals ) / Ezio Vevey ( guitar, flute, vocals )
Alberto Gaviglio ( guitar ) / Luciano Boero ( bass ) / Giorgio Gardino ( drums )
Oscar Mazzoglio ( keyboards ) / Michele Conta ( keyboards )
♪ まず Locanda Delle Fateのアルバムを紹介しているサイトは多いが、ほとんどが彼等の
経歴を紹介しておらず、アルバムの印象や感想を書き留めているに過ぎない。
いや、それが悪いとか駄目だなんて言いたいのではない。
紙ジャケCDの解説( 大鷹俊一氏 )でも、何ひとつ重要なことが書かれていないのだから。
それならば、ということで、現時点で僕が知っている範囲のことを簡単に書いてみよう、と思う。
Locanda Delle Fate が結成されたのは1974年のことであり、その時のメンバーはベースの
Luciano Boero 、キーボード奏者の Oscar Mazzoglio とドラムスの Giorgio Gardino という
キーボード・トリオだった。
ただし、時々演奏をしていたのはR&Bのようで、多彩なアイデアを絞り込んで、ひとつの結論に
達してシンフォニックなロックを演奏をするようになったのは後年になってからのことであった。
とりわけ、その影響力を齎したのが、もうひとりのキーボード奏者の Michele Conta、ギターと
フルート担当の Ezio Vevey 、そして、ギターの Alberto Gaviglio であったようだ。
この6人にソロ・ヴォーカリストのLeonardo Sasso ( Pebble )が加入し、最終的なグループの
編成となったのである。
おそらく、彼等のレコードは本国でよりも日本での方が売れたんじゃないか、と思う。(笑)
イタリア本国での正確なアルバムのプレス枚数が判らないのだが、数ヶ月で5,000枚という記述が
資料にある一方で、日本では廉価盤での再発もあるから5,000枚以上は売れた筈だ。
それにしても、このアルバムのスリーヴに描かれているイラストには不思議なものを感じる。
荒涼とした湖畔の傍で佇んでいる、女性に擬人化された蛍の姿を描いたものだが、決して巧いと
思えないイラストなのに、見る者を魅了してしまうのだ。
ずっと謎であったことが判ってしまうことが、何てつまらないことなのだろうか、とも思う。
グループ名の意味が、英語では Inn Of The Fairies ( つまり、『妖精の宿』という意味 )なのは
良いとしても、ここまでにしておいた方が好かったような気がする。
何故ならば、『妖精の宿』という言葉には別の意味があり、それが実は『売春宿』のことだ、と
知った時に、何だか少しだけ気持ちが醒めてしまったからだ。
だからこそ、邦題に選ばれた『妖精』という文字が酷く意味深で皮肉に感じられてしまうのだ。
そう感じてしまうのは、果たして僕だけなのだろうか。
§ ロカンダ・デッレ・ファーテ / 妖精
● J;Polydor 23MM-0148 ( 国内初回盤=帯付き )
§ ロカンダ・デッレ・ファーテ / 妖精 (L)
● J;Polydor 18MM-0584 ( 再発盤=帯付き )
§ ロカンダ・デッレ・ファーテ / 妖精+2 (R)
○ J;Polydor / Universal UICY-9117 ( Cardboad Sleeve )
§Various Artists / Italian Rock Single Compilation
● J;Edison / Polydor DMI-23134
♪ Non chiudere A Chiave Le Stelle b/w Sogno Di Estunno (L)
● I;Polydor / Phonogram 2060.148
両面ともアルバムからカットされた曲が収録されたコレクターズ・アイテムのシングル。
♪ New York b/w Nove Lune (C)
● I;Polydor / Phonogram 2060.169
現在では国内盤のCD( 紙ジャケCDはプラケース盤の音源と同じ )にボーナス・トラックで
収録されているが、両面ともアルバム未収録の貴重なシングル。
尚、イタリア盤のCDには”New York ”しか収録されていない。
ただし、アルバムの統一性という点では、シングル曲の収録がマイナスとなっている。
♪ Annalisa b/w Volare Un Po' Più iI Alto ( As La Locanda ) (R)
● I;Ri‐Fi / Phonogram RFN.NP-16802
これはメンバー・チェンジをし、レーベルを Polydor から Ri‐Fi に移籍して発表された最後の
シングル。
コメント
セカンドアルバム「妖精の帰還」も紹介せにゃあかんじゃろ(爆)。
とは言っても、「妖精の帰還」は「妖精」ファンにはおおかた不評な
ようじゃが。
それは「妖精」路線ではなく、普通のイタリアンロック路線に走っている
せいかもしれない。ま、無理にはお勧めせんが。
「妖精の帰還」は確か99年の作品だったような気がする。
「ニンフの戯れ」は1曲を除いて全て「妖精」収録曲。ほとんど
完コピに近い音といっていいかな。
ラジオ放送か何かの音源らしいので、ライヴ感が全くない奇盤
だが、逆に言えば、彼らの再現力と演奏力の高さが分かるので
資料と考えていいかも知れんじゃろ。
「妖精の帰還」はもう国内盤は絶滅したっぽいので、輸入盤を探すべし(原題忘れた/←をい)。
「ニンフの戯れ」も10年くらい前のやつだと思うので、ちと厳しいか。
ちなみに「妖精の帰還」では、「妖精」のラインナップのうち、正式メンバーはわずか3人。
ヴォーカルと、ギター、キーボードの片割れがそれに当たる。
ドラム、ベースは「妖精」にも参加しているが、全曲で演奏しているにも
関わらずなぜかゲスト扱い。謎。
あ、確か1曲だけ「妖精」でのツインキーボードがそろった曲が
あったかのう。
今も活動しているかどうかは、さすがに分からないが、忘れた頃に
3枚目のオリジナルは出るのかのう?マウロ・パガーニみたいに(爆)
2006-10-24 19:53 ジェネスシ URL 編集
小出しにしてくんない?(>o<)
2006-10-25 08:41 Tommy URL 編集
もしかして店長、私をストーカーだと思っていませんか?(←疑惑)
さて昔は日本の洋楽チャート、それこそ「洋楽」の名に恥じないものだったと思います。(遠い目)
>クレアのお願い画像を貼り付けてみたが、これじゃあ意味が解らんだろうな。(激爆)
店長・・・・唖然。アニオタ?(←差別攻撃!)
2006-10-25 21:33 ぷくちゃん URL 編集
>ライヴ盤「ニンフの戯れ」とセカンドアルバム「妖精の帰還」も紹介せにゃあかんじゃろ(爆)。
前者がPhonogramのプロモーション・ツアーで巡業していた時のLiveをカセット録音したものを
発掘した音源で、後者が”Homo Homini Lupus”のことです。
いやあ、あかんじゃろと言われてもねえ、ブート並みの音質に絶えられるようなタフな耳ではないので。あしからず。(激爆)
Tommyさん、コメント感謝です。
すまんのう、小出しにできずに。(笑)
あまり無理をしない方が良いと思うな。
それと耳もだよ。爆音サウンドを聴き過ぎないように、難聴になるからね。
ぷくちゃん、どうもです。
>二回ほど電話したのですが店長が出なくて布団を涙でぬらしたぷくちゃんといいます。
もしかして、布団を濡らしたのって、おねしょ?(←大馬鹿)
すいません、電話を置いているDKとPCをおいている部屋が別なもので聞こえにくかったりします。
>店長・・・・唖然。アニオタ?(←差別攻撃!)
これはアニメじゃなくて、○○○○のキャラです。
2006-10-26 09:34 白熊店長 URL 編集
とりあえず、ぜ~んぶメモしました。
軍資金、少ないッスけどがんばって探しますです♪
とりあえず、実家に帰ったときに、忘れずにパクって来ます(笑
2006-11-14 19:50 papini URL 編集
>とりあえず、ぜ~んぶメモしました。
軍資金、少ないッスけどがんばって探しますです♪
とりあえず、実家に帰ったときに、忘れずにパクって来ます(笑
どんどんメモしちゃって下さい。(笑)
なるべく判る範囲でオリジナル・アナログ盤のカタログNo.と入手可能なCDのカタログNo.を
併記しているので役に立てば、と思います。これもこだわりなんですよ。
最近のものには弱いですが、昔のものならば得意分野ですから。(爆)
それにしても、実家に帰ればある、という環境が凄過ぎます。
もしかして、僕と同年代かな。papiniさんのお父さんに宜しく。
2006-11-15 07:12 白熊店長 URL 編集
はじめまして!!
http://www.youtube.com/watch?v=j29_6ArANzM
この曲の5分33頃から訪れる多彩な器楽アンサンブルによる、フルートで始まる哀しげにささやく間奏パートは、最高です!!
至高の旋律美といってもいいですね♪
それにしても『妖精の宿』という言葉の意味が、実は『売春宿』のことだとはぁ。。(無・言・・)
この旋律美と裏腹で、私も何だか少しだけ気持ちが醒めてしまった感は否めません。惚れた女性の過去を詮索しない方がいいのと同じで、知らぬは仏…ですね!!(笑)
ところで、ソロ・ヴォーカリストのLeonardo Sasso は「楽天」社長の【三木谷 浩史】氏と似てませんかね???(爆)
三木谷社長の個人資産運用会社は、クリムゾングループというらしくて、彼は実のところ隠れプログレファンだとにらんでいるんですけども…。
真実は如何に。です。です。。では!!
三木谷浩史・「楽天」会長兼社長とは、、、 http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/special/64/interview0201.htm
2009-06-07 16:15 xaos8 URL 編集
再結成ライブ
そこで1stアルバム全曲(一部抜粋)と「La giostra」を演奏しました。
メンバーはオリジナルメンバー7人中3人が不参加(ゲストで一部の曲で参加)でしたが、サポート・メンバー2名を加え、6名編成でした。
33年のブランクを経たにもかかわらず、十分満足のいく演奏で、ヴォーカル、ドラムの切れなどは当時のままでした。
11月にはミラノで行われるプログレ・フェスに参加予定です。
来年は日本でのライブを予定しているそうです。
2010-07-31 08:24 Y.Tsuruta URL 編集